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八月十五日、小泉首相が靖国神社に参拝されたことはまことに残念である。
この行動に関する首相の説明はその時々で違い、多くの点で矛盾している。
ここまで国際的な関心事になった以上、この問題は良識に従い、アジア諸国の立場や主張も勘案し、国内で充分に議論を盡して結論を出すべきであった。
自分は行きたかったから行った、心の問題だと言うのなら、公的な立場は行動を決める要素にはならないということであり、心のおもむくままに、長期的にみれば国の不利益になるかならないかなどは気にしない行動が、今後も劇場的効果を狙って繰返されるということになりそうな不安を感じる。
我々の理解では、愛国者というのは、まず国家の長期の見通しの上に立って何をするのが国益になるかを考える人のことで、自分の感情や利害を真先に押し立てる人のことではない。
今回の首相の靖国参拝は、田中内閣の国交回復以来、多くの政治、経済、官界、文化界の指導者が営々として築いてきた韓国、中国そしてアジア諸国との友好関係を大きく損いかねない行ないであった。
歴史を遡れば、明治以前、平和思想はわが国の文化の特徴であった。不幸にして戦いが起った場合、日本人は戦場で命を落した人々の霊を慰めるために、敵味方の別なく彼らを祀って供養した。
こうしたわが国の文化的、思想的伝統について首相はどう考えておられるのか。報道によれば、首相は「米大統領が止めても行く」と発言されたと聞く。この報道をそのまま読めば「だから陛下が止めても行く」という、その後に続くはずの言葉が略されているように見える。この言葉は少くとも愛国者の口にすべき言葉ではないのではないか。ひとつの国の独立は、思い込みやパフォーマンスで達成されるものではない。明治維新後、先輩たちが不平等条約の改定にどれだけの苦労を払ったか。敗戦後、幣原喜重郎、吉田茂をはじめとする先人がどれだけ外交関係に意を用い、国際関係を一歩一歩形成してきたかを我々は真摯にふり返ってみるべき時に来ていると思う。
悪しき時代、軍事力を背景に威嚇外交を繰返しているうちに、もともとそれほど強靭ではなかった外交的な手腕、感覚、その基礎になるべき、相手の立場に立って考えてみるという姿勢と思想はわが国から消えてしまったのだろうか。現状では、国の独立を保証すべきわが国の文化と外交は危機的状況に陥っていると思わざるを得ない。その意味でも我々は今回の首相の靖国参拝に強く抗議する。
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