『故郷の食・日本の食』
東北 文銀実
物心がついたころ、キムチとみそ(大醤)は私の家の食卓に欠かせないものであることがわかった。朝の食卓には必ずキムチと味噌汁が出る。小さいときから食べ慣れたキムチと味噌汁は、今も私の大好物であり、故郷を離れ何年が経った今になってもお母さんの手作りの味は忘れることができない。
キムチの種類は多くあるが、その中で、私が一番好きだったのは、冬にしか食べられない白菜キムチであった。昔、白菜キムチは今日のように一年中食べられるものではなかった。白菜は秋に収穫するものだからである。故郷が中国の寒い東北地方であったため、昔は冬になると新鮮な食材は完全に切れてしまう。秋になると冬に備え、各家庭では干し野菜、キムチ(白菜キムチ、大根キムチ、きゅうりキムチなど)、味噌(大豆のみそ、唐辛子のみそ)などの保存食作りで忙しい。その中で、白菜キムチとみそは毎年大量に作られる。キムチやみそを作る材料は大体同じだが、味は家庭によって全然違う。遠いところに行くとき、私は必ず家のキムチを持っていく。一日でもないとご飯がおいしくないほど、私の食生活の中では無くてはならない存在であった。
昔、各家庭には冷蔵庫の代わりにキムチウム(穴倉)があった。私の昔の家にもキムチウム(穴倉)があり、それは私が生まれる前からずっとあったという。家の前に穴を深さ約3m、幅約2m掘り、四面はレンガで積み、下に降りるための梯子もある。入口は狭く、中に入ると広い。零下30度以下の真冬でも中はそれほど寒くなく、野菜やキムチ、味噌を保存するのに最適な温度が保たれる。冬になると、お母さんは毎朝キムチウムからキムチを出してくる。キムチウム(穴倉)に保存されたキムチの味は、翌年3月までもつことになり、冬の食卓に欠かせない一番大事なおかずであった。キムチウム(穴倉)から取り出してきたキムチの冷たくてさくさくとした食感は今も忘れることができない。今の冷蔵庫の中に保存されたキムチの味とは全然違う味であるからである。今は、そのおいしさを二度と味わうことができなくなり、ただ思い出に留まっているだけである。
いつの間にか冷蔵庫が普及し、キムチウム(穴倉)は放置されるようになり、今は完全に埋められ、その姿を消してしまった。冬だけに食べることができた白菜キムチが、今は一年中食べたいときはいつでも食べられるようになった。キムチをつくる手間もかからなくなった。今はスーパーやキムチ専門店もでき、その種類も豊富になったからである。それにつれ、キムチやみそなどの伝統食品を家庭で作る文化もだんだん忘れられていった。
初めて日本に来たとき、日本の豊かさに非常に驚いた記憶がある。その中でも、私を一番びっくりさせたのは、スーパーに並ぶ溢れんばかりの多国籍の食材と加熱してすぐ食べられるような加工食品やインスタント食品であった。毎日忙しい日本人の一面を反映するものにも見えた。便利さを求める消費者のニーズを満たすため、家で手間をかけて作ってきた家庭料理は、食品企業によって画一的な味で大量に作られるようになったのではないか。
スーパーやコンビニでは、そのような加工食品とインスタント食品を当たり前のように買い求める若者の姿がよく目につく。社会は豊かになり、食生活も時間をかけずに多彩なものを簡単に手に入れられるようになった。しかし、このような豊かな社会で生まれ育った今の若者たちは、今の豊かで便利な生活に満足し、お金で買えないものが消えていくことに気づいていないだろう。
毎日口にする米がどのように作られるかも知らず、料理を作る楽しさ、食べ物の大切さがだんだん忘れられるようになったのだ。冬に、季節はずれの野菜、果物を食べながらも、まったく違和感を覚えない。スーパーで半分できたものを買ってきて、家でちょっと加工したものを手作り料理だと考える人も少なくない。
ものが溢れると、そのものの大切さ、ものが得られることへの感謝の気持ちも忘れることになる。季節によって出る食材で、お母さんから心を込めて作られた家庭料理を食べてきた子ども時代は、今からはるか遠いものになってしまった気がした。
物質の豊かさの裏に、昔の伝統的な食文化が忘れられていくことにふと気がついたのである。ものが溢れる今日の生活に満足するだけではなく、真の豊かさとは何かについてもう一度考え直すようになった。
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